最愛の母
最愛の母が旅立ちました
令和元年8月15日0時9分
奇しくもこの日は私の誕生日でした
日付が変わったのを確認するかのように 12時を回ってすぐの旅立ちだったそうです
母は埼玉 私は奈良と離れているので最期を一緒に過ごすことはできませんでした
連絡を受けた日、日本列島は台風縦断の真っ最中で新幹線も陸路での移動は絶望的
告別式などの日程が決まるまで奈良の自宅での待機となってしまいました
実際に日程が決まるまでは1日程度だったのですが とてつもなく長い時間に感じられ
その間にいろいろなことが頭の中を巡っていきました
大学も海外、就職してからも一人暮らし、嫁ぎ先は遠く離れた奈良
だから一緒に過ごす時間は少なかったけれど 私にとっては母と父の愛情を常に感じる幸せな一生でした
でも、
一人娘としてちゃんと母のことを理解してあげていたのかな
娘としてもっともっとできたことがあったのでは
大好きな孫にもっと会いたかったよね
なんで私の誕生日なんだろう
母は何を伝えたかったのだろうと
考えても考えても答えのないことに思いを巡り頭の中はぐちゃぐちゃな状態でした
そんな思いは、母と対面した途端 その安らかな今にも話しそうな顔を見た途端にどこかに消えてしまいました
母の愛に包まれた途端に…
母は偉大です
最後の2ヶ月を一緒に暮らしてくれていた兄家族には感謝の思いしかありません
姪が詳しく母の最期のことを話してくれました
3日前からだいぶ悪く意識がほとんどなかったこと 最期は苦しまずにすーっと息を引き取ったということを
亡くなった日に会いに来てくれなかったなどとと思っていたのですが
霊山に旅立つ間際 私の誕生日まで頑張ってくれたのかなと今は思っています
その3日前の晩 母が夢に出てきて(ちゃんと会いに来てくれてました)
夢の中で 母を抱っこしたら綿のように軽くて驚く私を見て
母はにっこり微笑んでくれました
同じ日、病院にいる父のところにも行ったようでした
夏生まれなのに暑いのが大嫌いな母
通夜・告別式の2日間は37℃を超える埼玉でも記録的な暑さでした
そんな猛暑の中、またお盆中にも関わらず
本当にたくさんの方にご参列いただきありがとうございました
心より感謝申し上げます
会場の外まで続く列を見たときには涙が止まりませんでした
ご参列くださった多くの方が 母からの励ましや思い出を私に話してくださいました
ご高齢なのに車椅子で来てくださる方までいらっしゃいました
私が小さな頃の我が家は常に沢山の人が我が家に集い 時には食事をして行ったり
何日間か居候していたりということが普通の光景でした
困っている人 悩んでいる人が居たら放っておけない母でした
そのせいもあってか仕事をしているわけでもないのに 私は物心ついた時から鍵っ子で
一人で留守番をすることが多かったように思います
そんな子供心に芽生えた寂しさは そのまま大人になっても心のどこかに引っかかっていました
しかし、参列くださる方々の思い出話を聞くにつれ 本当に悲しんでくださっている方々を目にする度に
母はここに居る多くの人の母でもあったのだと理解しました
太陽のようなあったかさを持ち 時には自分を犠牲にしてまでも人のために動いたそんな母は私の誇りです
偉大なお手本がこんな側に居たのに
私はどれほど母から学ぶことがでたんだろう
とっても笑い上戸で 些細なことですぐ笑い出す母
父のことが大好きで 父も母のことが一番大切で
カサブランカが大好きな母へ 毎年お誕生日にはカサブランカの花束をプレゼントしていた父
若い時私が出かけると 心配で何時まででも寝ないで待っていてくれた母
結婚式にブーケを手作りで作ってくれた母
帰省する時は 運転免許証を返納するまで必ず駅まで迎えに来てくれた母
帰省する度に 自分が旅行や買い物に行く度に私の好きなものを買っていて 私の部屋に山積みにしてくれていた母
帰省する度に 私の子供たちや主人の好きな食べ物を山のように用意してくれていた母
奈良に帰る時は 姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた母
埼玉に行くと ここのお店が美味しいと食事に連れて行ってくれた母
私が人生で一番苦しかった時 「明日朝行くから頑張りなさい」と飛んできてくれた母
思い出は尽きません
今日 8月23日は母の誕生日です
母の残してくれたことを胸に
周りの方を大切に 母のようにはできないかもしれないけれど
明るく照らすことができる存在になっていきていと思います
両親のDNAを引き継ぐ子供たちとパートナーとあたたかい家族の絆を深め
人生を大切に生きていきたいと思っています
そして毎年の誕生日に報告をしにいきます
お母さん、ありがとう
あなたの娘でいられて幸せでした